from カシュガル

明日、キルギスのオシュへ移動します。
同じホテルに泊まっている旅行者の中で、キルギスにいくアメリカ人を一人見つけて、もう二人くらいいればタクシー、ヒッチ、公共バスで安く上げようと話していたのですが、結局みつからなそうな上、そのアメリカ人とも今日は会えていないので、直通のバスになりそう。50ドル。たけーよ。


ところで、新疆ウイグル自治区の町々、とてもよいです。人もやさしい人が多いです。クチャでは仲良くなったウイグル人農家の家に4泊ほどさせてもらいました。ちょっとしたウルルン体験。この時のことは時間があればここに書こうと思ってます。備忘録の意味も含めて。またいつかこの地に戻ってきたいなあ。


まあ、そんなわけで、また近々書き込もうと思います。
今日はこれから日曜バザールへ行ってこようっと。

from クチャ

 なんか気づいたら20日くらい更新していないので、更新してみます。いや、「元気便り」っていう側面もあるかな、と思って。


 えーと、今は新疆ウイグル自治区のクチャという町にいます。ウルムチから16時間の硬座の旅を経て、今日たどり着きました。16時間くらいならまだ余裕ですね、硬座も。ぷっぷー。まあ、ちょっとテンションがおかしいというのはありますが。
 でも、これにはまた別の理由もありまして、というのも電車の中で新疆大学で勉強しているウイグル人の女の子とちょっと仲良くなって、んで、クチャは彼女の故郷でもあるしウイグル語もしゃべれるし、ということで安宿を一緒に探してくれることになったんですけど、まあ、なんていうか、語学ができることのデメリットによってというか中国における外国人旅行者の立場に対する無知によってというか(そんなもんなくて当たり前なんですけど)、とにかくタクシーの運ちゃんにいろいろと吹き込まれながら宿を連れまわされた挙句、結局町の中心から8キロほど離れた駅の横のぼろい住宿に泊まることになっちゃって、自分ひとりで探したほうが絶対良い宿探せたよなあ、彼女の善意にはすごい感謝しているんだけど善意が良い結果につながるとも限らないよなあ、自分が少しでも好意を持つ人間が横にいるとどうして毅然とした態度をとれないんだろう、彼女と会う機会はもう一生ないんだろうなあ、なんて思って、まあ、この小さな出来事があったせいでちょっと変な気分になってしまったわけです。


 で、えー、それは前置きとして、まあ新疆ウイグル自治区についてなんですけど、これまで旅してきたところとまただいぶ違って面白いです。
たとえばトルファンで出会ったウマリさん、彼は家のブドウ農園の手伝いをしながら覚えた日本語でもぐりのガイドをしているんですけど、僕は彼とたまたま親しくなる機会を得まして、それでトルファンにいるあいだ毎晩一緒にご飯を食べながら話を聞くことができたのです。毎晩5時間くらいは話してたから、いろいろな話が出て、どれも興味深かったんですけど、というか妙に上手な敬語を使いこなすウマリさんの日本語がそもそも面白かったんですけど、僕が聞いた話の中で一番印象深かったのは中国におけるウイグル族と漢族の置かれている立場の差異と、それに対するウマリさんの持っている意識でした。
 彼の話によるとウイグル族は漢族にくらべていろいろと不利なことが多いらしく、それがもっとも顕著に現れているように思われるのは、ウイグル語とまったく異なる体系を持った漢語が使えないと就職するのがかなり難しいということです。たとえば、ウマリさんは日本人観光客向けのガイドを一方の志として持っているのですが(ちなみに日本の山梨のブドウ農園で働いていろいろな技術や知識も身につけたいらしい)、そのための前提条件として漢語による日本語の検定試験をパスしないといけないらしいのです。ウマリさんは漢語よりも日本語のほうが上手で(ちなみにウイグル語と日本語の文法は「90パーセント同じ」らしい)、しかもその日本語ももっぱら耳による独学でほとんど覚えたから、漢字なんかは僕よりもずっとできない。つまり、ウマリさんが日本語の検定試験をパスすることは、僕がアメリカのロシア語検定をパスするくらい難しいらしいのです。
 これだけでもウイグル族が自ら住む土地のガイドになるということがどれだけ難しいかわかるでしょうが、さらに高い壁として彼らに立ちはだかっているのが金銭的な問題だそうです。ガイドになるためには語学の検定試験だけではなく、どっかの機関による研修が必要だったり、あとガイドになるためのもろもろの試験の際に使う「袖の下」が必要だったりして、ウマリさんは「1万元あれば私もガイドになれる可能性があります」といっていました。ちなみに、学校の先生をしている彼のお兄さんの「安定した」収入が月収850元。つまり、農業を自らの職としている多くのウイグル人たちにとって、観光客向けのガイドになるというのは夢に近いことらしいです。事実、新疆で仕事をしている正式なガイドの大部分が外から来た漢族らしいです。これと類似したことはほかの職業でもいえるのではないかと思えます。
 まあ、これらの話はすべてウマリさんを通した伝聞の情報なのでどこまでが正しいのかは判断しかねるのですが、すくなくともウイグルの人たちが抱いている漢族に対する不平等感というのは垣間見えるんじゃないかなあ、と。それに、彼らの多くはムスリムとしての意識を抱いていて、それが中国国民という意識よりもよっぽど強いように見られることが間々あるので、その不平等感というものはその断絶意識によってさらに強められているんじゃないかとも思われます。そもそもこの新疆ウイグルの地は第二次世界大戦後に「東トルキスタン」として一瞬なりとも独立した土地なのですし。(ちなみに、この話をウマリさんに振ってみたら、「しっ!誰が聞いているかわからないので、私の口からは言えません」と、冗談かほんとかわからないようなことを言っていました。)
 まあ、ウマリさんも含めて多くのウイグル人は現在の世俗文化をあみしていて、酒も呑めばタバコも吸うのですが。ウマリさんはそんな状況を「腐っている」、「正しい道」にない、とタバコを吸いながら言ってましたけど…。


 なんか近況報告なのか日記なのかよくわからなくなってしまいましたが、とにかく僕は現在も元気に旅をしております。
 ちなみに、今度いつ更新するかわからないので、これからの旅程を書いておくと、クチャからホータンという町へタクラマカン砂漠の真ん中を立てに突っ切り、ホータンから中国最後の町のカシュガルへ、カシュガルからキルギスのオシュという町へ、オシュから首都のビシュケクへ移動してウズベキスタンとイランのビザをゲットし、もうウルムチでビザを手に入れてあるカザフスタンウズベキスタン、トゥルクメニスタン、イラン、トルコと移動していく予定。カザフスタンではセミパラチンスクにいこうと思っているので、被爆しないように気をつけたいと思います(気をつけることなのか!?)。
 それでは、また。無事を祈っといてください。

P.S. ちょっと読み返したら日本語おかしいな。やっぱり硬座での移動が考えていた以上に響いているようです。あー、頭いてえ。

from Xian

ima, yunyun to issyoni Xian niimasu.
asita ha Dun huang(Tonkou) ni idou. 26jikan kouza(hard seat) no tabi desu.
yunyun ha Titiharu(?) kara 46jikan kouza de idousite asi ga 2bai gurainiharetetakedo, bokuha dounarudarou. huan desu.

tokorode, Dali de atta Chinese no gakusei ga syasin wo okuttekuretanode, nosetemimasu.
kyoka mo torimasita.
tinamini boku no maeno Ai Miyazato ni tyotto nita ko ga motomoto onaji domi datta ko. hokano hitotati ha nandakandagaatte sonohi issyoni koudousita Chinese traveler.
bokuno kao ga yugandeirukigasurunoha kinosei desu.


toiuwakede, boku ha genkidesu.

from 成都

言いたいことなんて何もない。
とはいえ、何も見てこなかったわけではない。
僕は見た、満天の星空の下の松茸市場を、イナバウアーの五万倍はすごい男たちの馬の扱いを。
でも、時間がたつにつれていいたいことは何もなくなっていく。
表現できないことのように思えてくる。
面白いと思った夢を誰かに話してもあいまいな微笑しか帰ってこないように。
それでも何かを発することにだけこのブログの存在価値はあるんだろう。
だから言わしてもらう。

僕の好きな小説、阿部公房の『壁』は、砂漠と壁へと物語が収束していく。
それらは同質の存在であり、ひとつの救いであるのだろう。
けれど、ドストエフスキーが壁に頭をぶつける人間に対して迂回路を示し、阿部公房が壁に落書きをする可能性を示したとして、ぼくらのものがたりは砂漠と壁の世界から始まる。
そして、僕らは知らなければいけない。
砂漠と壁は、視界をふさぐものでありながら、出会いのかたちであるのだと。
僕らは壁をたたく。
音が広がり、それは顔の見えない誰かに届くのかもしれないし、届かないのかもしれない。
僕らは壁をたたき続ける。
そうしていつか顔の見えない誰かが壁をたたく音が聞こえ、見たことのない光景が現れる。
出会いとは、絶えざる始まりであるのではないかなんて、最近思うのだ。

そんなわけで、言いたいことなんて何もない。
そして、僕らは永遠に若い。
この生が永遠に回帰するとしても。

こんどはかんじがつかえない。

ぼくののっているくるまがはしっていき、ひくいくもがながれていく。
てまえのくもははやく、おくのくもはゆっくりと。
ふかくあおいそらにつりさげられた、くもらしいくもだ。
くるまはそうげんをはしり、おかのようなやまをいくつもこえ、そらのはえるぬまを、ちべったんのぱごだをよこめにみながら、かいちょうにとばしていく。
なにかからにげるように。
じっさいぼくは、にげおくれたぐどんなくるまを2だいみたのだ。
やがてひがくれていき、くもはすみえのしるえっとへと、そらはうすいあおいこがねいろのすいさいえのぐにかわっていく。
ここちよいれいき、ここちよいつかれ。
そうしてぼくはもくてきのちについた。うしなわれたちへいせんに。

というわけで、シャングリラにつきました。きのうのよるのことです。
さんぶんてきなにんげんであるぼくにはうまくひょうげんできないのですが、いいところです。
このまちが、というよりは、このまちをかこむけしきがとてもいいのです。
そらとやまが、ひかりとかげが、これだけのそんざいかんをもったところを、ぼくはあまりしりません。
にんげんせいかつのかんしんからはなれたけしきが、かたちをなさずにいしきのなかへとはいってくるのです。
このようなけしきのなかでうまれそだったにんげんは、どのようなにんげんになっていくのかしら。
ああ、チベットにいきたい。
チベットにいきたい。
ここはチベットにほどちかく、そのぶんかけんにもはいってきているのです。
チベットはパ�`ミッションをとらなきゃはいれないことになっているんですが、うまくやればなくてもはいれるらしい。
ちゅうごくじんだといつわって。
どうしようかな。
どうしようかな。
とりあえずあしたじょうほうをあつめてみよう。

というわけで、ぼくのよていはみていになりました

大理から

ていうか、あれなんだね、XPって日本語使えるんだね。

まあ、そんなことはどうでもいいのですが、今、雲南省の大理というところにいます。
「大理石」の「大理」。
これからは徐々に北上し、麗江、シャングリラ、リタン、成都を経由して西安へ、それから進路を西に変えていわゆるシルクロードを通りながらタクラマカン砂漠を満喫して中央アジアへ入る予定。まだまだ先は長いです。中国を出るのもいつのことになるやら。

ところで、今僕がいる大理という町、結構面白いです。
なにが面白いって、現在の中国の観光事情の一端を垣間見れることです。
昨日は一日中国の大学生たちと行動していて、そのときに聴いたことでもあるのだけれども、現在中国では観光が盛んになりつつあるようで、それはこの旅の中でもいろんなところで感じていて、たとえば故宮なんかだと一昔前の日本の農協観光ツアーの団体客みたいのがあふれるほどいたわけだけれど、そんな活況を呈しつつある中国の観光産業の中でも雲南省は一大人気スポットだとか。「山奥深くに住む少数民族の秘境の町」みたいな。秘境でもなんでもないんですが。
そんなわけで、とにかく中国人観光客が多い。外国人旅行者なんかよりもずっと。
上海で会ったオーストラリア人は「大理はヒッピーの町」と言っていたけれど、少なくとも表面的に見る限りそんな部分はあまり見えてこない。ただ、道を歩いていて何回かおばちゃんから「はっぱ、はっぱ」と声をかけられはしたけれど。まあ、雲南省ラオス、タイ、カンボジアのいわゆる「黄金のデルタ地帯」(だっけ?)が近いし。(ちなみに、数年前に麻薬密売組織を叩こうと人民解放軍が大規模な軍事作戦をやって、それがアメリカの監視衛星に見つかって「中国と東南アジアの国の間で軍事的緊張が高まっている」なんて憶測が飛んだらしい。)でも、路上でマリファナが買えるという事実(僕は買ってませんよ)は、観光開発されてしまった場所から逃れるようにして「ヒッピー」が隠れて滞在しているか、あるいは昔は「ヒッピーの町」だった、ということを想像させるくらいで、町全体の雰囲気としてはそんなことはまったくない。
これと関連して面白いのは、大理には「洋人街」というのがあって、そこには英語が使えるバーがいっぱいあるのだけど、その店で酒を飲んでいるのは中国人観光客だけ。「外国人観光客(=ヒッピー)が集まっている」というイメージあるいは売り文句が中国人観光客を集めるんだろうね。
そんなわけで、この町はとにかく観光客が多く、それだけ観光開発されているんだけれども、僕が気になるのは中国人の中国人に対する視線。つまり、「少数民族」に対する視線。
中国は「多民族国家」なので、日本のように「単一民族神話」なんてものはまったく通用しないわけで、それはたとえば身分証明書に「民族」の欄があることからも一目瞭然。そんな中で、ネーションの意識を維持するためにどのような装置が働いているのかと考えることがあって、その大きなひとつはやっぱり中国共産党なのではないかな、なんて思う。たとえば、中国共産党結党85周年が近づいていて、その宣伝がバスの中なんかでも頻繁に流れているのを昆明でみた。毛沢東を筆頭に、歴代幹部たちの写真が名前とともに、こう、パッパッと映っていって、最後に「中国共産党結党85周年」のテロップ。バックは真っ赤な国旗。BGMにはなんか知らんが重厚な音楽。ちょっとかっこいい。そんなたとえを出さなくても、現在のこのネーション・ステートの歴史はすなわち共産党の歴史なわけで、もし突然議会制民主主義になったりしたらその「歴史」がぶつりと断絶することになって、それとともにネーションのほうも混乱をきたすのではないかしら、なんて僕は想像してしまう。いや、今の中国の一党独裁体制がいいとは決して思わない、というかかなりひどいと思うのですが。でも、今でもこの国の底で流れ続けている各民族の独立意識というのが高揚したら収拾つかないだろうな、とも思う。
話がそれました。そして、文章を書くのも面倒くさくなってきました。とにかく、大理の町なんかだと(そしてこれから行くいくつかの町でもそうでしょうが)、観光客用に民族衣装を着ている人たちがたくさんいて、そういう人たちをバチバチ写真で取る中国人観光客のエキゾチズムというのいうのは興味深いな、ということです。ちょっと前にNHKのドキュメンタリーで、カシュガルかどこかの町の子供を見た中国人観光客が「少数民族の子供はかわいいわね」とか言っているのを見て、なぜかむかむかしてしまっている自分がいたりして、それはどこから来るのかな、なんて疑問に思ったりする。そして、自分も似たようなものじゃないか、とも。

なにが言いたいのかわかりません。もう一ヶ月以上日本人と話していないので日本語がおかしくなっているのかもしれません。まあ、どうでもいいや。
今日はこんな感じで、それでは、またどこかの町から。

from Gui zhou

ima Kishuu shou no Kaili(nihongo deha Gairi, kana) ni imasu.
asita ha Kungming(Konmei?) ni idou.

tokorode, Hong Kong de deatta Indian(male) kara e-mail ga kiteita koto ni kyou ki ga tsuita. naiyou ha chou kageki. ichibu bassui.

"Something I hid from you that time, a secret to tell you is that, you are so charming and handsome. Rather I should say you are very sexy. Dont think I am flatterring. It is a reality."

oioi, sekai ha dounatterunndai? ittai dou kotaeryaa iitteiundai? nani wo kitai siteirundayo Thomas? yanwarito ukenagasu bunshou wo, dareka English de osiete kudasai.
maa, Indian ha otoko dousi demo kata wo dakiattari te wo tsunaide aruitari suru kara, tokubetsu na imi ha nainokamo... demo, konoE-mail ha naa...