from クチャ

 なんか気づいたら20日くらい更新していないので、更新してみます。いや、「元気便り」っていう側面もあるかな、と思って。


 えーと、今は新疆ウイグル自治区のクチャという町にいます。ウルムチから16時間の硬座の旅を経て、今日たどり着きました。16時間くらいならまだ余裕ですね、硬座も。ぷっぷー。まあ、ちょっとテンションがおかしいというのはありますが。
 でも、これにはまた別の理由もありまして、というのも電車の中で新疆大学で勉強しているウイグル人の女の子とちょっと仲良くなって、んで、クチャは彼女の故郷でもあるしウイグル語もしゃべれるし、ということで安宿を一緒に探してくれることになったんですけど、まあ、なんていうか、語学ができることのデメリットによってというか中国における外国人旅行者の立場に対する無知によってというか(そんなもんなくて当たり前なんですけど)、とにかくタクシーの運ちゃんにいろいろと吹き込まれながら宿を連れまわされた挙句、結局町の中心から8キロほど離れた駅の横のぼろい住宿に泊まることになっちゃって、自分ひとりで探したほうが絶対良い宿探せたよなあ、彼女の善意にはすごい感謝しているんだけど善意が良い結果につながるとも限らないよなあ、自分が少しでも好意を持つ人間が横にいるとどうして毅然とした態度をとれないんだろう、彼女と会う機会はもう一生ないんだろうなあ、なんて思って、まあ、この小さな出来事があったせいでちょっと変な気分になってしまったわけです。


 で、えー、それは前置きとして、まあ新疆ウイグル自治区についてなんですけど、これまで旅してきたところとまただいぶ違って面白いです。
たとえばトルファンで出会ったウマリさん、彼は家のブドウ農園の手伝いをしながら覚えた日本語でもぐりのガイドをしているんですけど、僕は彼とたまたま親しくなる機会を得まして、それでトルファンにいるあいだ毎晩一緒にご飯を食べながら話を聞くことができたのです。毎晩5時間くらいは話してたから、いろいろな話が出て、どれも興味深かったんですけど、というか妙に上手な敬語を使いこなすウマリさんの日本語がそもそも面白かったんですけど、僕が聞いた話の中で一番印象深かったのは中国におけるウイグル族と漢族の置かれている立場の差異と、それに対するウマリさんの持っている意識でした。
 彼の話によるとウイグル族は漢族にくらべていろいろと不利なことが多いらしく、それがもっとも顕著に現れているように思われるのは、ウイグル語とまったく異なる体系を持った漢語が使えないと就職するのがかなり難しいということです。たとえば、ウマリさんは日本人観光客向けのガイドを一方の志として持っているのですが(ちなみに日本の山梨のブドウ農園で働いていろいろな技術や知識も身につけたいらしい)、そのための前提条件として漢語による日本語の検定試験をパスしないといけないらしいのです。ウマリさんは漢語よりも日本語のほうが上手で(ちなみにウイグル語と日本語の文法は「90パーセント同じ」らしい)、しかもその日本語ももっぱら耳による独学でほとんど覚えたから、漢字なんかは僕よりもずっとできない。つまり、ウマリさんが日本語の検定試験をパスすることは、僕がアメリカのロシア語検定をパスするくらい難しいらしいのです。
 これだけでもウイグル族が自ら住む土地のガイドになるということがどれだけ難しいかわかるでしょうが、さらに高い壁として彼らに立ちはだかっているのが金銭的な問題だそうです。ガイドになるためには語学の検定試験だけではなく、どっかの機関による研修が必要だったり、あとガイドになるためのもろもろの試験の際に使う「袖の下」が必要だったりして、ウマリさんは「1万元あれば私もガイドになれる可能性があります」といっていました。ちなみに、学校の先生をしている彼のお兄さんの「安定した」収入が月収850元。つまり、農業を自らの職としている多くのウイグル人たちにとって、観光客向けのガイドになるというのは夢に近いことらしいです。事実、新疆で仕事をしている正式なガイドの大部分が外から来た漢族らしいです。これと類似したことはほかの職業でもいえるのではないかと思えます。
 まあ、これらの話はすべてウマリさんを通した伝聞の情報なのでどこまでが正しいのかは判断しかねるのですが、すくなくともウイグルの人たちが抱いている漢族に対する不平等感というのは垣間見えるんじゃないかなあ、と。それに、彼らの多くはムスリムとしての意識を抱いていて、それが中国国民という意識よりもよっぽど強いように見られることが間々あるので、その不平等感というものはその断絶意識によってさらに強められているんじゃないかとも思われます。そもそもこの新疆ウイグルの地は第二次世界大戦後に「東トルキスタン」として一瞬なりとも独立した土地なのですし。(ちなみに、この話をウマリさんに振ってみたら、「しっ!誰が聞いているかわからないので、私の口からは言えません」と、冗談かほんとかわからないようなことを言っていました。)
 まあ、ウマリさんも含めて多くのウイグル人は現在の世俗文化をあみしていて、酒も呑めばタバコも吸うのですが。ウマリさんはそんな状況を「腐っている」、「正しい道」にない、とタバコを吸いながら言ってましたけど…。


 なんか近況報告なのか日記なのかよくわからなくなってしまいましたが、とにかく僕は現在も元気に旅をしております。
 ちなみに、今度いつ更新するかわからないので、これからの旅程を書いておくと、クチャからホータンという町へタクラマカン砂漠の真ん中を立てに突っ切り、ホータンから中国最後の町のカシュガルへ、カシュガルからキルギスのオシュという町へ、オシュから首都のビシュケクへ移動してウズベキスタンとイランのビザをゲットし、もうウルムチでビザを手に入れてあるカザフスタンウズベキスタン、トゥルクメニスタン、イラン、トルコと移動していく予定。カザフスタンではセミパラチンスクにいこうと思っているので、被爆しないように気をつけたいと思います(気をつけることなのか!?)。
 それでは、また。無事を祈っといてください。

P.S. ちょっと読み返したら日本語おかしいな。やっぱり硬座での移動が考えていた以上に響いているようです。あー、頭いてえ。