Жизнь прожить не поле перерыть !

イランからアルメニアへ。国境を陸路で越えるのは今回の旅で何度目になるだろう。あるときは川に架かる橋を越え、あるときは山の峠を越え、あるときは荒涼とした砂漠をまたいだ。そうした境界を通過するたびに、いろいろと考えることがある。地理的状況に歴然と見える境界および国家というものの人為性、にもかかわらず存在するその力の大きさ。国境を越えるということはただ一歩を踏み出すことでもあり、何かが変わることでもある。2007年3月11日、とにかく僕はアルメニアに入国した。


今回の移動に関して、僕はあまり情報を入手できていなかった。テヘランからイェレバン(アルメニアの首都)までの直通バスが出ているのは知っていたが、30ドル以上という(イランでは)あほみたいな金額を出すつもりは毛頭なく(ちなみにイスタンブール行きよりも高い)、自力で国境を越える場合は交通手段を探すのに苦労する、という「旅行人」の頼りない情報がほとんど唯一のものだったと言っていいだろうか。
とりあえず僕はタブリーズを出てアゼルバイジャンとの国境に面するジョルファーという町へ向かった。ここまでは公共のバス。そこからはアルメニアとの国境ノウデーズまでどうするかと悩んでいたのだが、運良く乗り合いタクシーを見つけて安く済ますことができた。まだ緑の見えない荒涼とした山道を、車は快調に飛ばす。ノウデーズは国境ポストがあるだけで、町ではない。そそくさとイランを出国。フォダハフェース、イラン! さて、次はアルメニア旧ソ連圏の国にありがちな賄賂要求を受けることもなく、幅の狭い川に架かる橋をズンズン渡り、無事アルメニアに入国。ズドラストゥヴィチェ、アルメニア! 
アルメニア側の名称はアガラックという。こちら側は少し離れたところに町があるようなのだが、イミグレーションを出たところには何台かのタクシーがとまっているだけ。タクシーの運ちゃんに最寄の町までの値段を聞くと20ドルといってきた。アホか! 一晩バスに乗っても4ドル以下の国からきた人間に払う気があるわけないだろ! ニタニタ笑っているアホ面がむかついたので、無視してヒッチハイクを試みる。すぐにイラン人の車が止まった。後部座席に乗ると、さっきの運ちゃんたちが集まってきてなにやらドライバーに猛抗議。俺たちの客をとるな、ってところだろうか。若いドライバーはイライラしながらやっぱり降りてくれと僕に告げる。普段温厚な僕もこれには久しぶりに頭にきた。知っているロシア語の悪態をドライバーたちに叫んで(英語だと「マザーファッカー!」ってところ)、歩き始めた。
気温は低いが日差しが強く、すぐに暖かくなってきたので、着ていたウインドブレーカーを脱いで歩き続ける。そんなことは想定されていないからか、歩道は用意されていない。誰もいない砂利道を歩き続ける。時たま通る車に手を上げるがなかなかとまってくれない。いや、一台のジープがとまった。急いでかけていってみると兵隊。貴様は何者だ。パスポートを見せ、事情を説明。がんばれよと、ジープは僕を乗せずに走り去っていく。また歩く。しばらくして今度は三菱のパジェロがとまってくれる。パイプライン施設のために働いているイラン人。快く乗せてもらえた。やっぱりイラン人はやさしいなあ、などと思っているとすぐに最寄の町メグリに到着。このとき時間は3時30分くらいだったろうか。
メグリまで乗せてもらったイラン人たちに、今日はテヘランからのバスが通るよ、と教えてもらっていたので、気が向いた車に手を上げたりしながらそのバスを気長に待つ。が、来ない。日がだんだん傾いてきた。近くにあった商店のおっさんが、バスは今日来ないと思うけどなあ、もし来なかったらどうするんだよ、などと聞いてくる。どうしようか、と僕も考える。
「ホテルはいくらなの?」 
「しらんなあ。」
「この町にホテルは何軒くらいあるの?」
「2軒くらいじゃないかなあ」
「それはどこ?」
「あっち(右手)とあっち(左手)」
僕のロシア語がへたくそだからか、どうもあやしい。あやしいというか、おっさん、しらんだろ。まだバスが来ることに望みをかけていた僕は、「まあ、もし来なかったらこのテント(テヘランで買った)で朝まで待つよ」なんて言っといた。おっさんは「まあ、そん時はこの店の裏庭でも使えや。夜はここ誰もいないから」と言ってくれた。また、翌朝7時ごろにイェレバンまでの直行マルシュルートカ(ミニバス)があると教えてくれたのも彼だ。
とにかく、僕は待ち続けた。途中、何人も興味を持った人間が話しかけてきたが、僕は適当に応答していただけだった。残念だけど、興味がもてないんだよ、疲れているし、ほんと言っちゃえば、お前らうざいんだよ。そんな中に一人、少し奇妙な男がいた。やたらと親しげに僕に話しかけてくる。僕は少ししかしゃべれないって言ったのに、やたらとロシア語でまくし立ててくる。一緒に友達の家でビール飲もうぜ、ストリップを見に行こう、今日髪を切ったんだけどどう? キまってるかい? キまってるのはお前の頭の中身だ、などと意地悪く思いながら、僕は適当に受け流しておいた。これが旅行中の処世術だ。何語であろうとやたらと媚を売るような輩は無視。もし底意がないとしても大体そんな人間はつまらない人間がほとんどだ、と僕は決め付けてしまっている。その男は何度か姿を消し、また現れては話しかけ、姿を消しては現れた。いい加減うざったかった。うざったいという以上に、あやしかった。彼がまっていろと言って消えた隙に、僕は件の商店の裏庭へいってテントを張り、休息についた。もう9時に近かった。あいつがここまで来なければいいがと思いながら、いざと言うときのためにテントの入り口に南京錠を掛け、スイスアーミーをポケットに入れて寝袋にくるまった。
夢の始まるばらばらのイメージの中で、男の声がした。男の声はだんだんと大きくなり、細かいその他のイメージを破壊し、僕を現実へと連れ戻した。「アイツ」だった。男は何事かを怒鳴りながら、僕のテントの入り口を開けようとした。が、二枚目のメッシュが開かない。南京錠を掛けといてよかった。
「何で俺を待ってなかったんだ!」
男がまくし立てる中で僕が理解できたのはこれだけだった。まだ僕は状況が理解できていない。
「僕はロシア語が少ししか理解できないって言っただろ」
「そんなことは知っている!ストリップバーにいくって言っただろ!何で待ってなかったんだ!ここを開けろ!開けろ!!」
寝ぼけていたので危うく開けかけたが、さすがにそれはしなかった。男がまくし立てる間に、だんだんと状況が理解できて来た。と同時に、自分の足が小刻みに震えているのに気がついた。なんだ、情けないな、なんてそれを見る。多少おびえてはいたのだろうが、恐慌には陥っていない。念のためポケットからスイスアーミーを取り出すが、それを目の前の人間に突きつけることはできなかった。人に凶器を向けるなんてことは僕の人生では一度もなかったし、もしそれを向けて相手が逆上したりしたら大変だ。なにしろ僕は小さなテントの中にいて、相手は外にいる。いくら小さいナイフを持っていてもテントごとボコボコにされてしまうだろう。
「おい、ここを開けろ!聞いてるのか!警察を呼ぶぞ!」
警察?何を言ってるんだこいつは?
「オーケー。警察を呼んでくれ」
「ここを開けろ!ぶっ壊すぞ!」
「おまえはなにがしたいんだ?いい加減にしてくれ。俺はどこにも行かないよ。眠たいんだ。明日早いし。どっかへいってくれよ!」
と、ここら辺で相手の声のトーンが変わり、こんなことを言い始めた。
「金をよこしたらここを去ってもいいぞ」
始まったか、と僕は思った。少しの金でいなくなるんならくれてやる。とりあえず1000ドラム(3ドル弱)を入り口の隙間から渡してみた。
「ふざけんな!足りると思ってるのか!」
じゃあ2000でどうか。
「お前はアホか!この入り口をぶっ壊すぞ!」
そんなことを続けて4000ドラムまで渡したところで相手が僕の腕時計に気がついた。
「それを渡せ」
「いやだ。これは親父からもらったものなんだ。もう1000ドラム上げるから勘弁……」
ここで男が入り口を壊して体を半分中に入れてきた。僕は相手の勢いに飲まれていたんだろうと思う。言われたまま時計と財布を渡した。
「何だ、これっきゃ入ってないのか、ドルはないのか?」
「カードを使ってるからないよ」
と僕は嘘をつく。男はカードには興味はなさそうだった。この町にATMなんてないのだ。
男が財布を物色している隙に僕は迷いながらもスイスアーミーに手を伸ばした。男がそれに気がつく。
「何だそれは?見せろ」
もう迷っている暇はない。急いで僕は男の鼻先にナイフを見せつけた。それからは一瞬だ。今でも僕は何が起こったんだか良く思い出せない。男はちょっと奪おうというそぶりを見せたが、そんなことはさせない。男は身を翻して逃げていった。僕は裸足のまま考えもなく男を追いかけた。興奮していたのだ。今思えば、どこか少し楽しんでもいたのだと思う。が、道まで出たところで我に返った。通行人と車を呼び止め、急いでテントを片付け、警察署へ向かった。それまで気がつかなかったのだけれど、男は逃げ出すドサクサの際に僕のザックも持っていっていた。中には隠してあった200ドルと、生活用品がほとんどすべて入っていた。


……これ以上くどくどと説明するのはやめよう。結論から言えば、翌日の夕方までに男は逮捕された。住人全員が顔見知りであるような小さな町だったのと、男がご丁寧にも僕に説明していたその日散髪に言ったというのが決め手になったみたいだった。男が警察に伴われて再び僕の目の前に姿を現したとき、僕はなんともいえない漠然とした嫌悪感を覚えた。男はふてくされた子供のような顔をして、僕に目を合わせようとしない。弱いやつだな、と僕は思った。
とにかく、奇妙な二日間だった。警察署で明かした長い夜、私服警官に同伴した現場検証、住人たちの排他的な視線、無関心を装った身内をかばうそぶり、警察たちの気遣い、犯人の妻の涙の訴え、私たちにはまだ幼い子供が二人いるのよ、首に掛けていた十字架を僕にくれようとした。冗談じゃない、僕に十字架を背負えと言うのか?僕は断った。夫は禁固五年になるだろう、と続けて訴える。僕は彼らを哀れみもしたが、そして何とか罪を軽くしてやりたいとも切に思ったが(いろんな点から考えて、要するに衝動犯なのだ)、もうそんなことはどうでもいいことでもあった。僕は疲れていたのだ。清潔なベッドの上でぐっすり眠りたかった。しかし、調書作成のために、さらに三日間滞在してくれと言われていたのだ。うんざりだ。山肌にこびりつくような陰気で小さな村。僕を話で聞いて知っている住人たちの視線。
しばらくして警察署長が僕を呼び出してこういった。
「明日のうちにここを出たいか?」
「できるならばそうしたい」
「犯人の罪を軽くしたいと思うか?」
「彼がもうこんなことをしないなら」
「当たり前だ。やつは小心者の貧乏人に過ぎない。家族四人で友達の家に居候しているようなな。今はすすり泣いているよ」
「もし僕が彼の罪を問わないならどうなるんだ?」
「殴られて、そう遠くないうちに釈放だろう」
僕は翌日の早朝に、逃げるように町を離れた。あとは警察たちがうまく処理してくれるだろう。被害者および原告人は失踪したのだ。
さて、今頃「アイツ」はしらない誰かに殴られてでもいるのだろうか?