She played the pineapple and I sang purple.

旅を始めて一年が経ち、僕はイスタンブールにたどり着いた。
あの時、ボスボラス海峡を渡る時に感じたのは、予感にも似た何かだったのか。
あの時、春の潮風を頬に受けながら感じたのは、郷愁にも似た何かだったのか。
この一年間で僕の体重は12キロ減り、髪はうしろで結ぶほど長くなった。
重くなったザックを背負いながら船から降り立ったときに感じたのは、なんだったのだろう。
大きなカモメたちが振り子のように空に弧を描き、釣り人たちの垂れる糸がまっすぐな軌跡を海に突っ込んでいた。朝の青い光があふれた人間たちを照らし出し、1500万人が住むこのねじれた町に光を当てていた。石畳の道と路面電車、巨大なモスクとスターバックス。空と雲と新緑と海。鯖の臭い。
僕は、「アジア」を越えたのだった。


キューバから来たグループが奏でる音楽の中を、僕とカリナは踊った。たどたどしいステップ。なんとなく感じる気まずさを持て余して横を見ると、ドレッドヘアーをした美しい体躯の黒人が金髪のトルコ人と踊っていた。うしろではイギリス人の老カップルが楽しそうに飛び跳ねていた。音楽がとまって、僕らは笑いあってお辞儀をし、僕は空いていた椅子に腰を下ろした。カリナはつづけてケマルと踊っている。彼女はインドで会った時よりも5キロほど太ったと言っていた。確かに太ったように思われた。僕は目をつぶる。僕は酔っ払った意識をほったらかしにしておく。これまでの旅の出来事があふれては、記憶の排水溝に流れていった。そうして湿り気が意識に残り、キューバの音楽がそれを温める。黒い色をした老人が僕の分からない言葉で、きっと人生の悲哀か何かそんなものを歌っていた。この旅で多くの人間と出会い、響きあうようにして、そしてまた離れていった。おそらくもう二度と会わない人間たち。会えない人間たち。そうした人間たちと、これからまた何人出会っていくことだろう。眠っているのか、と二人が訊いた。いや、眠ってないよ、と僕は答えた。


あなたは笑う(laugh)ことがあるの、とカリナが訊いた。言ったはじから枯れてくような、つまらなそうな響きが含まれていた。僕は驚き、本当はよく笑うんだけど、と曖昧に答えた。心外だった。自分で言うのもなんだけど、僕の笑顔はこれまで最高だったはずだし、これからも最高のはずだった。しばらくしてから、友人の一人が使ったという文句を思い出してこう言った。いや、静かであるということはサムライの美徳の一つなんだよ。カリナは笑い、そう、あなたはサムライなのね、といった。愛想笑いというものはドイツ人も使えるのだな、と思った。


トルコ人の生活水準というものについて、少し意見が食い違った。はじめに食いついたのは僕だ。僕は違うんだ、と思った。違うんだ、というよりも、くたばっちまえ、という方が近かったかもしれない。でも、英語で僕の考えを伝えることは不可能だった。日本語でも言えたのかどうかも分からない。そもそもそれは考えだったのだろうか。女はバスに乗り込み、僕らは手を振った。そうして、バスが去るのを待たずに、僕は歩き始めた。


最近は、だるい。疲れたんだろうか。行き先も決まらずに、この町をほっつき歩いて暮らしている。時には外に出ないときすらある。
イスタンブール――それはアジアの終わりであり、ヨーロッパのはじまりだといわれる。
それが、一体どうしたというのだろう?