from Tokyo

東京へ帰ってきてひと月と半。
身体の細胞は、どれだけMADE IN Japanになったんだろうかなんて思う。
そんななか、一通のメールを受け取った。この日記でも少し触れた、カザフスタンセミパラチンスクからのメール。娘のユーリャからだ。かの地を離れて一年が経っていた。
彼らの連絡先を記したノートはインドで紛失してしまっていたので、こちらから連絡を取ることはできなかった。そして、あれだけお世話になったのに何の連絡が取れないということに、心苦しさを感じていた。はからずも破ってしまった約束や、時が経つにつれて風化していくだろう記憶に、悲しさに似た感情を抱いていた。それは、旅の中で破り、今現在も破り続けている数多の約束への思いでもあった。だから、ローマ字で打たれたロシア語のメールを読んだとき、とてもうれしかった。そのメールは、どこか遠い星から流れ着いた手紙のようでもあった。


   もちもーち、こちら地球星日本国シロ隊員。
   

   応答どーじょー。


   この星はとっても平和です。どーじょー。


セミパラチンスクでの日々は、僕の旅の中でも特別の記憶として残っている。アルマティから20時間ほど電車に乗ってたどりついたセミパラチンスクの町は、まだ10月だというのに、もう冬だった。彼らがいなかったら、僕はあの町に対してどんな印象を抱いていただろう。相当わびしいものになっていたんじゃないだろうか。簡素というよりはさびしいホテルの一室、寒空の下でひとり食べるシャシリクドストエフスキー博物館、クルチャートフの人気のないビルディングス、秋枯れた広大な草原、目に見えない放射能……。しかし、彼ら家族が色彩を塗り替えてくれた。毎日のぼせるまで入ったサウナ、ウォッカの晩酌、それとともに盛り上がるヴァロージャの昔話、古きよきソ連時代の思い出、垣間見えるユーリャの白い太もも、息子との猥談、彼らが抱える不満、そして……分かれる日に起こったあの事件。
その日、目を覚ますと家にはユーリャしかいなかった。違和感を感じながらも、前日の晩にヴァロージャが作ってくれたナスの料理で朝食をとりながら、最後の別れを惜しみつつ、猫なんぞをなでていた。すると、外でガタガタと騒々しい音をたてながら、他の面々が家へと入ってくる。彼らの様子は異様だった。皆一様に厳しい表情をし、息子はなにやら壊れた機材を抱え、知らない女性も一人いた。お母さんは突然声を上げて泣き出し、何事かをうめいた。誰かが「行ってしまった」と、そう聞き取れた。ユーリャの目にも涙が浮かぶ。尋常ではないことが起こっているのは明らかだった。僕は居心地の悪さを感じ、手に持っていた食べかけのナスの料理をお皿に戻してしまう。ゆっくりと、隠れるように外に出て、タバコを吸った。そうしながら僕にすることができたのは、400回以上の核実験が行なわれたその地で、生まれては死んでいく人々の生活に思いをはせることぐらいだった。それが僕の取れたぎりぎりの距離だった。僕とヴァロージャとユーリャを残して、みんなはふたたび車で去っていった。当たり前だけれど、僕にかまっている暇などなかった。そして、彼らと会ったのはそれが最後となる。重い空気が流れる中で、ヴァロージャが僕に教えてくれた。その日の早朝、息子が経営する電化製品取り付け会社の社員三人の乗った車が事故にあったのだと。踏切を渡る時、大きな看板が影となって、走ってきた列車にぶつかったのだと。一人即死、二人重傷。「社員」とはいえ小さな会社のこと、三人は社員というより家族ぐるみで付き合う友達だった。息子が抱えてきたのは、大破した車の残骸の一部だった。どんな感情を持てばいいのか、僕にはそれさえもわからず、存在していることしかできなかった。
その出来事は僕にとって「謎」であった。それは、いかなる都合のいい解釈も拒む。端的に、僕には何も理解できなかったのだ。そして、本質的には、他の数多の出会いもまったく同じだ。そのような出会いと出会いながら、旅人は流れ続ける。流れるから、風は風なのだろう。
駅までヴァロージャが見送りに着てくれた。その詳しい内容はよくわからないのだが、彼は駅で働いていたので、電車が出るまで彼の仕事場で待たしてくれることになった。それは、むき出しの古臭い機械が並ぶ、不思議な部屋だった。そこで、彼と彼の仕事仲間と、最後の乾杯をした。上司に内緒で隠しているウォッカだ。初めて会う彼の仕事仲間を、ヴァロージャは「ドイツ人」と「ウクライナ人」と紹介した。彼らは僕に対して親密な態度をとってくれたが、やはりその日の朝にあった悲劇によって、どこか重々しい空気が流れていた。やがて時間は過ぎ去り、みんなは僕の載る列車まで見送りに来てくれる。いよいよ最後の別れの際に、ヴァロージャは手を差し伸べた。僕も手を出すと、彼は痛いくらい握り締め、わずかの間僕を強く抱きしめた。そして身体を離し、もう行けと言う。僕にしてはめずらしいけれど、そのしぐさには感動してしまって、目頭が熱くなった。列車は時刻通り出発した。そして、僕らの距離を見る見るうちに離していった。


それから一年。届いたメール。それは僕に希望にも似た何かを呼び起こす。なぜかはわからない。けれど、僕は手紙を書こうと思う。ただ、手紙を書こうと思うのだ。それは、どこか遠くの星へ手紙を投げ出すのに似ている。「言葉」は知っているのだ。


   もちもーち、こちら地球星日本国シロ隊員。
   

   応答どーじょー。


   この星はとっても平和です。どーじょー。