from オシュ

というわけで、無事オシュに着きました。
今日の早朝、まだ日の昇らぬ5時ごろのことです。


結局バスは使いませんでした。週二本のバスをやり過ごさなければならなくなる恐怖や銀行のATMでカードが飲み込まれるというアクシデント乗り越え、粘り強く待った甲斐があり、前々日から知り合っていたアメリカ人のほかにスペイン人の二人組みが集まったのです。
ここで彼らの紹介を簡単にしておきましょう。
アメリカ人  上の前歯がすきっぱなせいで笑顔がちょっとひょうきん。
スペイン人A  ミッシェル・フーコー西尾幹二を足して3で割った幹二。
スペイン人B  なんていうか、身長二メートルのガットゥーゾ
外見はこんなところでしょうか。これだけ読むとひどいと思うかもしれませんが、結構いいやつらです。


で、早朝の5時20分にホテルのロビーに集合し、まずはタクシーで国境のイシュケルタム峠を目指しました。一人75元。まだ人気の少ない道路を車は快調にとばし、10時前にははじめのゲートに着いた。町といえるものなんかなくて、閑散としていた。時間のせいか、キルギスに向かうトラックばかりが目に付く。なんの問題もなくイミグレーションを通過し、建物を抜ける。と、そこは山、山、山。その間を舗装された一本道が延びている。なんとキルギス川の最終ゲートまで10キロほどの距離があるのだ。初めはそこを歩くことになるのかと一同沈んでいたが、係員(?)に聞くとどうやらトラックをヒッチハイクできるらしい。ので、僕らは同じくキルギスへ向かうウズベク人の人たちと話しをしながら乗せてもらえる車を待つ。しばらくして鉄筋を運ぶトラックの荷台に乗せてもらえるということになった。話をしていたみんなで乗り込む。ゆっくりと頬をなでる風が気持ちいい。快調、快調、などと思っていた僕が甘かった。
二回目のパスポートチェックを受けたあと、おもむろにトラックが止まった。12時ちょっと前。待てど暮らせど車が動き出す様子はない。一緒にトラックに乗ったウズベク人に聞くと、どうやら2時までお昼休みらしい。どんだけ役所仕事なんだよ!などと思いながら、強くなってきた日差しの下で時間をつぶす。2時ちょっとすぎには車が動き出したが、役人の効率の悪さもあって渋滞気味。目的の分からないパスポートのチェックを5,6回受けた末、4時ごろにキルギスタン側のゲートを出ることができた。長さ10キロの国境線エリアを実に5時間以上かけて通過したことになる。歩いたほうが早いやね。
キルギスタン側はバラックでできた家々でちょっとした村みたいになっている。いや、村じゃないんだけど、一応のインフラは整っているんじゃないかと思う。で、そこでしばらくトラックの運ちゃんたちと交渉し、サルタシュという最寄の町まで乗せてもらえることになった。三台のトラックに国籍で分かれて乗車。いざ発進。……が、このトラックも遅い。上り坂や下り坂などだと早歩きくらいのスピードしかでない。自転車に追い抜かれるありさま。しかも道路がまったく舗装されていなくて結構ゆれる。その間、トラックの運ちゃんとロシア語で簡単な会話。始めてロシア語を活用できて少しうれしい。まあ、かなり忘れちゃってるんだけど。それでも少しは仲良くなれて、プレゼントとしてウイグル人歌手のカセットテープをもらった。使いようはないが、うれしい。窓の外の景色も抜群にすばらしかった。
夜九時ごろ、サルタシュに到着。本来はここで降りるはずだったのだが、すきっぱのアメリカ人と話した結果、そのままオシュまで連れて行ってもらうことにした。スペイン人二人は悩んでいた。無理もない。みんなもうかなり疲れているのだ。が、彼らも結局オシュまでいくことに。トラック、再び発進。座席に積んであった荷物がその町でおろされたのと、道路が少しよくなったのとで、乗り心地が少しよくなった。
途中、お茶と簡単な食事(パンとサワークリームののった目玉焼き。まともなものを食っていなかったからめちゃうまかった)のための休憩を挟んで、早朝の五時ごろオシュに着いた。お世話になった運転手たちと握手をして分かれた。ちなみに運賃は請求されなかった。いろいろとお世話になったから少しは渡したかったけれど、機を失ったのと、ほかの連れが渡す気がなさそうだったのとで、渡し損ねる。あ、今思ったんだけど、彼ら(アメリカ人とスペイン人たち)は影でこそっと渡してたんだろうか。うーん、俺にはそんなスマートなまねできないなあ。まあ、事実はわかんないんだけど。とにかく、トータルの運賃は中国側のボーダーに行く使った75元(10ドル)だけ。バスで行くよりも40ドルほど浮いてしまった。


その後は2時間ほど歩いてホテルを探し、爆睡。起きてから銀行を探し、換金して飯を食ってから、アヴィールというのを探し当て、滞在登録を済ます。中央アジアは滞在登録が面倒くさそうだと思っていたけど、案外あっさり済んだ。で、現在に至る。
オシュは旧ソ連の影響がまだ残っている感じで、そんなに大きな距離を移動したわけじゃないのに、これまでの中国の町と雰囲気が大きく違う。歩いている人間も違うし、家の作りも違うし、文字はキリル文字に変わるし、まあ、とにかく中国とは大きく違う。ホテルを探しているとき、大きなミーシャがペイントされたぼろいアパートを発見し、ちょっと感動した。


まあそんなわけで、僕は元気にやっております。時間もないので、今回はこんな感じで。