人民解放軍

 友人のスムージーミクシィで「不条理からの自己を守る術として、言葉は全く役に立たないと最近痛切に思うんだよ。/言葉とか理性とか論理とか、まじ存在しない空間とかあるって。」と書いていて、たしかにそういう状況もあるとは思うのですが、しかしそれだけではまだ認識が甘いと思わざるをえません。人民解放軍の雄姿を見てきた僕としては。半端な武力によって身を滅ぼす場合もあるのです。
 たとえば、僕は広州の沙面で人民解放軍の小隊(?)が演習を行っているのを目撃しました。彼らは二人一組となっていて、まずAがBに思い切り殴りかかります。Bはそのパンチを半身になってガードしながらすかさず背負い投げ、倒れ掛かったAの腕の関節をキメ、それだけでは終わらずにブーツでその肘を逆側から思いっきり踏みつけ……という演習です(ちなみに一連の流れが終わったあとには必ず、倒されたAが腕をまったく使わずに体のばねだけで起き上がり、その様はまるでジャッキーの映画のようです)。僕は驚愕し、かつ妙な興奮を抑えられずに30分ほどはその演習を見ていました。驚くべきは、それがまだ幼さの残る十代後半の青年たちによってにこやかに行われているということです。「実戦」においても彼らはなんの躊躇もなしに腕をたたき折れるのではないかと創造してしまいます。そもそも彼らの目的意識は「プロ」を気取っている格闘家などとはまったく異なります。格闘家が持っている意識が「如何に相手を負かすか」というものだとするならば、彼らの意識は「如何に素早く効率的に相手を戦闘不能に陥れるか」ということになるでしょう。彼らが敵として眼前に立ちはだかった際、決してボクササイズで培ったパンチなどをしてはいけません。パンチなどしようものならば、一秒後にはあなたの腕は明後日の方向を向いていることでしょう。
 また、僕は万里の長城を歩いている途中にも人民解放軍と遭遇しました。どういうことかというと、僕は北京で友達になったドイツ人カップルのロニとクリスチャーナと共に「クーベーコウ」(漢字は忘れました)というところから「司馬台」というところまで二泊三日の行程で歩いていたのですが、途中に「forbidden military zone」というのがあって、僕らはそこに半ば過失的半ば確信犯的に入っていき、一、二時間歩いたところで人民解放軍に発見され、危うく連行…というようなことになったのです。そのときにはロニの機転のおかげもあって連行などということにはならなかったのですが、その際に一人の兵士が近くの村まで抜ける道を案内してくれるというので、ついていこうとすると、不意に彼の姿が消えました。なんと彼は飛び降りたのです!5メートル以上はある崖から足場の悪い山場へ!そして彼はこともなさげにこちらを振り向くと、「さあお前らも来いよ」と手招きします。そこにはこちらを心配する様子も誇らしげな様子もまったくありません。僕らはただ興奮して笑うしかありませんでした。(ちなみにこのときに会った人民解放軍の方はとてもフレンドリーで親切でした)
 まあ、これらの例からもわかると思うのですが、半端な武力というものは相手によっては害にしかならないのです。それを相手に見せつけても、相手からは警戒しか引き出すことができないのです。そして、旅行中にはこの手の相手が敵として立ちはだかることがあるのです。中央アジアとか。
 では、そのような場合に僕たちはどうしたらよいのでしょうか?答えは二つあります。
 ひとつは圧倒的な武力を手に入れること。半端じゃあいけません。それこそ「グラップラー刃牙」的な武力でなければなりません。ほとんど不可能に近い試みではありますが、もしそれを手に入れられたならば、怖いものはなにもなくなるでしょう。
 二つ目は機転、あるいは狡猾さを身につけること。そのことを二つ目の例の際にロニが見せてくれた行動が教えてくれました。彼は人民解放軍が近寄ってくるのに気づくや否や、僕が持っていた地図を受け取り、いかにも頭の悪い観光客ですといった様子でニコニコしながら、逃げるどころか兵士に近寄っていきました。そして"Where are we? HuH"とか"Would you tell me how to go to Shimatai?"とか、とにかく「迷って困っちゃてるんですよー」という雰囲気を出しながらフレンドリーに話しかけたのです。そのことによって一気に兵士は警戒するのをやめ、とても親切になってくれました。まあ、いつもそういう風には行かないでしょうが。ただ、そういう狡猾さというのは時にとても重要になるのです。そして、切羽詰った状況におけるそういう狡猾さというのはまったく格好悪いものではありません。むしろ讃えられるべき種類のものです。
 
 まぁ、僕が何を言いたいかというと、日本は自衛隊を軍隊などにはせずに、そういう狡猾さを磨いていったほうがいいのではないかということです。