from Bushehr

青みがかった灰色のペルシャ湾の風に打たれながら水パイプをふかす今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
と、書き出してみましたが、親からのメールにあった「17日にクエッタの裁判所で、自爆テロがあって、何人か亡くなり、そして昨日19日デリーからパキスタンへの列車が爆発炎上で今のところ死亡者67人だそうです。」という文章に度肝を抜かれ、っていうか、あれじゃん、17日にクエッタで自爆テロって、俺が出た二日後じゃん、などとしばし呆然とし、その事故に出くわさなかったことに胸をなでおろしつつ、その文章に続く「テロを掻い潜って旅行している様」という文章に首肯せざるをえない今日この頃でもあるのです。


思えばこの旅もそろそろ十ヶ月を迎え、その締めくくり方、日常への接続の仕方を考えることが多くなってきたわけですが、そんなときによく考えるのは、旅と日常が同一であるような生き方であり、それは海外旅行をちょくちょくするなどということではなく、日常を旅化するような、自らの軌跡に責任を追いながらそれに縛られないで生きるような、自らの暮らす環境に違和感と好奇心を同時に持ち続けるような、そんなものだったりするのです。抽象的でよくわかんないだろうけど。俺もよくわかんないし。でも、この旅を僕の日常であった生活に接続するために、飛行機でぴょーんって飛んで帰るんじゃなくて、陸路と回路だけを使って帰ろうかな、って思うことが多くなった。たとえヨーロッパ圏青息吐息で切り抜けることになっても。移動続きになったって、人間がぶつかってくるものなんだよね、旅をしていると。
で、今日もぶつかりました、元柔道イラン代表の床屋さんに。まだ僕と変わらない年だけど、ひざを故障して引退したとか。お昼ごはんにお家へ招かれ、近所のお友達(というか、同じ家に住んでるんですが、ルームメートとご近所さんの間って感じ、うまく説明できないけど)とともに有意義な時間がすごせました。特に興味深かったのは、彼らはクルド人でイラン人は不親切な人間も多いと忠告するような面も見せながら、そのことと因果関係があるとはいわなかったけど、彼ら自身は経験していないイスラーム革命のあと生活が厳しくなったといい、とはいえ今のイラン政府は支持し、イランの核エネルギーの平和利用を妨げるアメリカを非難するという、その立ち位置だった。彼の主張から何かを性急に引き出そうとはまったく思わない。けれど、「外」から情報を得ているだけではなかなかイメージに入らない人間たちというのがいるということ、対面という関係を築くならばそういう人間しかいないのじゃないか、という予感、そんなものを改めて感じた。会話の中で一般論でしかものを言わない自分にむずがゆさも感じた。


そんな感じ。旅は続いているのです。