from Shaoxing

紹興は旅行者にとって中途半端な街だろうと思う。
主な観光ポイントと言えば魯迅の生家で、あとはチョロチョロと走る運河くらいなもの。KFCやナイキ、アディダスの店もあり、そこそこ大きなビルも建っているが、大都会というには程遠く、素朴で昔ながらの古都を演出しきれているわけでもない。名物の臭豆腐は動物園の臭いがし、紹興酒は少し値段が張るので手を出せず、宿を変えれば隣の部屋から真昼間だというのにヘコヘコとベッドの軋む音がし、運河が多いから蚊も多い。
けれど、僕はこの町を気に入りはじめている。いや、気にいるとまではいかないが、しばらくこの町にいようかと思いはじめている。
思えば旅行者というものも随分と中途半端な存在だ。とりたててコレという肩書きも持たず、どのような者なのかと人に身分をとわれれば『旅行者?』と語尾を上ざるをえない。単なる観察者という立場に甘んじることもできず、積極的に状況に介入する能動者になることもできない。旅行自体にこれこれといった意味ががありますなどとは胸を張って言えないが、なにもないと言えばまた嘘になる気がする。
dakara syoukou ha boku no sinnshou huukei da nado toiu imi no wakaranai koto ha iwanai . tada , syoukou ni tuita hi ni , syuuu ni nurenagara syuugou juutakugai wo bonnyari to aruite iru toki ni , kanasisa ya sabisisa ya yorokobi ya ikari nadotoha hodotooi tokorode , honntou ni bonnyari to , kokora de yukkuri siyoukato , sou omotta noda .

sonnnawakede , ima ha sukosi geri gimi desu .